子供のころのお祭りだった
彼らを見たのは
白い着物に松葉杖、アコーディオンの音
ある者は手をうばわれ足を取られて
ある者は両目失って生きるしるべもない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
何の保障も残されず
情けのかけらもない
ただ年老いて死に絶える
忘れさられてく
誰のために死んだのか
大義名分何ゆえに
どこへ行っても知らん顔
誰に聞いてもわからない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
異国の地に葬られ
人としてうかばれたか
霊は眠れずさまよい
今も泣いている
一握りの権力者
一億二千の魂と
暗闇天井のしかかる
どこへも逃げられない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
Wounded soldier,
Comfort woman,
Matsushiro War bomb Shelter
戦争はまだ終わっていないと
隣に座るお前に言う
使い古された言葉だと
白けてお前は俺に言う
だけど、だけど現実は
戦争はまだ終わっていないのさ
オモニの涙が分るかよ
アボジの歩いた長い道が
爺さんは俺に言ってた
てめえの尻拭いもできないで
何が国際貢献PKO
一緒に戦争に行った仲間たちと
みんなと、みんなと一緒にしておくれと
爺さんは俺に言ってた
しゃがれた、しゃがれた声で
振り絞る の声が
忘れられないよ
戦争はまだ終わってないよ
おふくろが、おふくろが俺に言ってた
そっちじゃ、そっちじゃないよ
そっちいっちゃだめだよ
戦争はまだ終わってないよ
彼らを見たのは
白い着物に松葉杖、アコーディオンの音
ある者は手をうばわれ足を取られて
ある者は両目失って生きるしるべもない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
何の保障も残されず
情けのかけらもない
ただ年老いて死に絶える
忘れさられてく
誰のために死んだのか
大義名分何ゆえに
どこへ行っても知らん顔
誰に聞いてもわからない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
異国の地に葬られ
人としてうかばれたか
霊は眠れずさまよい
今も泣いている
一握りの権力者
一億二千の魂と
暗闇天井のしかかる
どこへも逃げられない
傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営
Wounded soldier,
Comfort woman,
Matsushiro War bomb Shelter
戦争はまだ終わっていないと
隣に座るお前に言う
使い古された言葉だと
白けてお前は俺に言う
だけど、だけど現実は
戦争はまだ終わっていないのさ
オモニの涙が分るかよ
アボジの歩いた長い道が
爺さんは俺に言ってた
てめえの尻拭いもできないで
何が国際貢献PKO
一緒に戦争に行った仲間たちと
みんなと、みんなと一緒にしておくれと
爺さんは俺に言ってた
しゃがれた、しゃがれた声で
振り絞る の声が
忘れられないよ
戦争はまだ終わってないよ
おふくろが、おふくろが俺に言ってた
そっちじゃ、そっちじゃないよ
そっちいっちゃだめだよ
戦争はまだ終わってないよ
Contributed by Bernart Bartleby - 2015/5/25 - 15:43
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Nell’album intitolato “Who Can Save The World?” di questo musicista e attivista anti-nucleare nippo-coreano.
Testo trovato su Japanese Protest Songs
Una canzone dedicata ad alcuni “effetti collaterali” della guerra, ai reduci mutilati ed invalidi e alle cosiddette “donne di conforto” (ianfu / 慰安婦), decine, forse centinaia, di migliaia di giovani cinesi e coreane (ma anche da Filippine, Burma, Tailandia, Vietnam, Malesia, Taiwan, Indonesia e Timor Est) che prima e durante la Seconda guerra mondiale vennero ridotte a schiave sessuali ad uso dell’esercito imperiale giapponese.
Nel ritornello del brano l’autore fa anche riferimento al “Matsushiro Daihon'ei Ato”, il quartier generale imperiale sotterraneo di Matsushiro, vicino a Nagano, un sistema di rifugi scavato nella montagna e destinato alla protezione dell’Imperatore e dei vertici dell’esercito. La sua costruzione iniziò tardivamente, verso la fine del 1944 ma, potendo i giapponesi disporre di un numero pressochè illimitato di schiavi, i lavori proseguirono molto rapidamente. Vi lavorarono circa 10.000 schiavi coreani, 1.500 dei quali morirono in pochi mesi…